大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

横浜地方裁判所 昭和54年(ヨ)604号

申請人

木下学

申請人

松永隆

申請人

小堺敬助

申請人

気仙真琴

申請人

蒲原俊文

申請人

川山和明

申請人

伊藤和博

申請人

徳丸益実

右申請人ら代理人弁護士

湯沢誠

柿内義明

宇野峰雪

佐藤克洋

高橋理一郎

被申請人

日東化工株式会社

右代表者代表取締役

大瀧秀夫

右代理人弁護士

渡辺修

竹内桃太郎

吉沢貞男

宮本光雄

山西克彦

冨田武夫

主文

一  申請人木下学、同松永隆、同小堺敬助、同蒲原俊文、同川山和明及び同徳丸益実が被申請人の従業員たる地位を有することを仮に定める。

二  被申請人は申請人木下学に対し、金一一〇六万九七三四円及び昭和五八年一〇月から本案の第一審判決言渡しに至るまで毎月二五日限り一か月金一七万六三〇〇円宛の金員を仮に支払え。

三  被申請人は申請人松永隆に対し、金九六六万二三二三円及び昭和五八年一〇月から本案の第一審判決言渡しに至るまで毎月二五日限り一か月金一五万四五〇〇円宛の金員を仮に支払え。

四  被申請人は申請人小堺敬助に対し、金一〇〇四万三三七七円及び昭和五八年一〇月から本案の第一審判決言渡しに至るまで毎月二五日限り一か月金一六万三五〇円宛の金員を仮に支払え。

五  被申請人は申請人蒲原俊文に対し、金九一〇万四二四三円及び昭和五八年一〇月から本案の第一審判決言渡しに至るまで毎月二五日限り一か月金一五万二二六〇円宛の金員を仮に支払え。

六  被申請人は申請人川山和明に対し、金八〇二万三四五五円及び昭和五八年一〇月から本案の第一審判決言渡しに至るまで毎月二五日限り一か月金一二万八七八〇円宛の金員を仮に支払え。

七  被申請人は申請人徳丸益実に対し、金一一一一万二四九〇円及び昭和五八年一〇月から本案の第一審判決言渡しに至るまで毎月二五日限り一か月金一八万二二〇円宛の金員を仮に支払え。

八  申請人木下学、同松永隆、同小堺敬助、同蒲原俊文、同川山和明及び同徳丸益実のその余の申請並びに申請人気仙真琴及び同伊藤和博の申請はいずれもこれを却下する。

九  申請費用のうち、申請人気仙真琴と被申請人との間に生じた分は申請人気仙真琴の、申請人伊藤和博と被申請人との間に生じた分は申請人伊藤和博の、その余の申請人らと被申請人との間に生じた分は被申請人の各負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  申請の趣旨

1  申請人らが被申請人の従業員たる地位を有することを仮に定める。

2  被申請人は申請人木下学に対し、金一一五三万四六五六円及び昭和五八年一〇月から本案判決確定に至るまで毎月二五日限り一か月金一八万八五四二円宛の金員を仮に支払え。

3  被申請人は申請人松永隆に対し、金一一三六万九八二五円及び昭和五八年一〇月から本案判決確定に至るまで毎月二五日限り一か月金一八万五八四六円宛の金員を仮に支払え。

4  被申請人は申請人小堺敬助に対し、金一一七一万二〇三三円及び昭和五八年一〇月から本案判決確定に至るまで毎月二五日限り一か月金一八万七一〇四円宛の金員を仮に支払え。

5  被申請人は申請人気仙真琴に対し、金九八二万六二五三円及び昭和五八年一〇月から本案判決確定に至るまで毎月二五日限り一か月金一五万六九五二円宛の金員を仮に支払え。

6  被申請人は申請人蒲原俊文に対し、金一〇三八万八三一五円及び昭和五八年一〇月から本案判決確定に至るまで毎月二五日限り一か月金一七万五九三円宛の金員を仮に支払え。

7  被申請人は申請人川山和明に対し、金八六八万七二〇円及び昭和五八年一〇月から本案判決確定に至るまで毎月二五日限り一か月金一三万八七〇〇円宛の金員を仮に支払え。

8  被申請人は申請人伊藤和博に対し、金四六一万二五六四円及び昭和五七年二月から本案判決確定に至るまで毎月二五日限り一か月金一〇万八九三四円宛の金員を仮に支払え。

9  被申請人は申請人徳丸益実に対し、金一二六八万六五八七円及び昭和五八年一〇月から本案判決確定に至るまで毎月二五日限り一か月金二一万一九九四円宛の金員を仮に支払え。

10  申請費用は被申請人の負担とする。

二  申請の趣旨に対する答弁

1  本件申請はいずれもこれを却下する。

2  申請費用は申請人らの負担とする。

第二当事者の主張

一  申請の理由

1(当事者)

被申請人(旧商号日東タイヤ株式会社、以下「会社」という。)は、神奈川県高座郡寒川町一之宮二〇〇一番地に本社及び湘南工場を、三重県員弁郡東員町大字中上二四〇〇番地に桑名工場を置き、主として自動車用タイヤの製造を目的とする会社であり、昭和五四年末現在資本金一九億二〇〇〇万円、従業員数一一〇〇名であった。

申請人木下学は、鹿児島県出身で宮崎県立都城工業高校を卒業して昭和四五年三月会社に入社し、湘南工場事務部業務グループに所属していた。

申請人松永隆は、熊本県出身で熊本第一工業高校を卒業して昭和四四年四月一〇日会社に入社し、湘南工場タイヤ製造課タイヤグループに所属していた。

申請人小堺敬助は、福岡県出身で福岡県立大牟田南高校を卒業して昭和四四年四月会社に入社し、湘南工場タイヤ製造課タイヤグループに所属していた。

申請人気仙真琴は、青森県出身で青森県立八戸工業高校を卒業して昭和五〇年六月一六日会社に入社し、湘南工場タイヤ製造課タイヤグループに所属していた。

申請人蒲原俊文は、佐賀県出身で竜谷学園高校を卒業して昭和五〇年三月会社に入社し、湘南工場タイヤ製造課タイヤグループに所属していた。

申請人川山和明は、佐賀県出身で竜谷学園高校を卒業して昭和五一年三月一〇日会社に入社し、湘南工場工業用品製造課製造グループに所属していた。

申請人伊藤和博は、福島県出身で福島県立会津工業高校を卒業して昭和五一年三月一〇日会社に入社し、湘南工場タイヤ製造課タイヤグループに所属していた。

申請人徳丸益実は、大分県出身で法政大学工学部電気工学科を中退して昭和四七年四月一日会社に入社し、本社技術部タイヤ技術研究グループに所属していた。

2(懲戒解雇)

会社は、昭和五四年四月一日、申請人木下、同松永、同小堺、同気仙、同蒲原、同川山、同伊藤に対し、桑名工場勤務の人事通知を発したうえ、同月六日、同工場勤務を命ずる業務命令を発した。しかし右申請人らがこれを拒否すると、会社は、申請人木下、同松永、同小堺、同気仙、同蒲原、同伊藤を同月七日、申請人川山を同月一三日、いずれも懲戒解雇した。また、会社は、同月一九日、申請人徳丸に対し、桑名工場勤務の人事通知を発したうえ、同年五月八日、同工場勤務を命ずる業務命令を発した。右申請人がこれを拒否すると、会社は同月一四日、同人を懲戒解雇した(以下申請人八名に対する右業務命令を「本件配転」、右懲戒解雇を「本件解雇」という。)。

会社は、本件解雇以後申請人らの就労を拒否している。

3(不当労働行為)

(一)  会社には従業員によって結成されている申請外全日本ゴム労連日東タイヤ労働組合(後に会社の商号変更に伴い日東化工労働組合と名称が変更された、以下「組合」という。)があり、組合は会社との間でユニオン・ショップ協定を締結していて、従業員は会社に本採用となると同時に組合に加入することとされており、申請人らも全員組合に加入していた。組合の構成員数は湘南支部で約六一〇名、会社全体で約一〇〇〇名であり、会社職制である作業長、班長クラスも組合員とされている。組合は、昭和四〇年八月、タイヤ製造関係五組合を中心に結成されていた全国ゴム産業労働組合連合会に加入し総評に加盟していたが、同四九年一月新しく組織された全日本ゴム産業労働組合総連合に加盟するとともに総評から脱退した。

(二)  会社は、もともと東急の系列下にあったが、昭和四五年頃三菱系列下に入り、三菱商事から派遣された田中達夫が社長に就任するとともに受注減少、収支悪化を理由に合理化政策を打ち出し、昭和五〇年には三直三交替制職場を四直三交替制にかえるなどの労働強化政策やマル総計画と称する節約運動、生産性向上運動を実施し、同年一一月には操業短縮を行った。

(三)  組合は、右のような会社の合理化計画に対し反対の立場をとったものの、昭和四九年の総評脱退に象徴されるように会社の合理化計画と対決し組合員の職場と権利を守ることはせず、ただ下部組合員の不満を抑えるために形式的にストライキを行ったに過ぎなかった。また、組合においては、班長、作業長などの職制クラスが執行委員及び職場委員の大半を占めるため組合の方針自体が基本的に会社の意向を忠実に反映したものとなっていったが、この背景には会社の組合人事に対する介入があった。すなわち会社は組合役員選挙の際には課長会議で誰を当選させるかにつき対策を練り、職制を使って投票を勧誘したりし、特に三菱化成から会社に送り込まれた山本清典人事部長は班長、作業長らのうち約三分の一が加入する親睦団体「新風会」との接触を強め、同会の構成メンバーを組合の執行委員に送り込んでいたが、殊に昭和四九年の執行委員選挙において申請人徳丸に多数の票が集ったことに関し各職場の管理職を集め、組合役員選挙の際の活動の不足を責め、締めつけの一層の強化を図った。

(四)  申請人らは右のような労働者の権利を無視した会社の合理化政策に対し積極的に闘うことをせず御用組合化しつつあった組合の現状にあき足らず、労働者の権利を守る真の組合活動の必要性を痛感し、以下に述べるように組合内少数派(社青同グループ)として独自の行動を展開した。

(1) 四直三交替制導入反対運動

会社は昭和四九年秋、四直三交替制(連続操業)を提案した。しかし右提案は合理化政策であって、現在の人員で三班を四班に分けると一班の人数が少くなり労働強化となること、休日がばらばらになることが予想されたので組合及び申請人ら社青同グループは右提案に反対した。しかし会社の職制を動員した切りくずしにより結局同年一一月頃組合は右会社提案に賛成し、ラインの稼動と人員に関し「四班三交替実施に伴う加硫関係配員計画についての確認書」と題する覚書をとり交わした。しかるに会社は右協定に違反し時間外に止めているラインを稼動させたので申請人徳丸ほか二名の作業員がこれに抗議しラインを止めたところ、逆に総務部次長から「本当ならくびにするところだ」と恫喝され、以後申請人徳丸は職場で作業長、班長らから厳しく監視され、他の職場の労働者と分離され孤立化させられるようになった。

(2) 加硫職場の廃止反対運動

昭和五一年四月会社からB工場加硫職場を廃止したいとの提案がなされた。会社は設備が老朽化し生産性が低いと説明したが、実際は組合活動家の多い職場を潰すのがねらいであった。これに対し組合は当初は反対の姿勢を示したが積極的な反対運動をせず結局会社の提案を受け入れた。そこで申請人徳丸、同木下、同小堺ら社青同グループは職場集会を開くなどして強力に反対運動を展開したが、会社はこれに対し申請人徳丸を技術部に配転し活動家の孤立をねらった。

(3) 昭和五一年六月の希望退職者募集に対する反対運動

昭和五一年六月、会社は三八〇名の希望退職者募集を提案した。しかしこの提案の基準はあいまいで職場から活動家を排除することをねらいとするものであって、社青同グループの申請人徳丸、同木下、同松永らは退職を強要された。これに対し組合は当初は白紙撤回を主張しストをしたりしたが次第に闘争態勢がくずれ労使協調路線をとるようになった。そこで申請人徳丸、同松永、同木下、同蒲原らは学習会をもち反対の教宣活動を行いビラを配付したりした。

(4) 有給休暇の全日消化と残業拒否闘争

会社は長年の業績不振から新規の設備投資を行わなかったため生産設備は老朽化し生産能力において他社に伍していくのは困難な状態にあったところ、昭和五〇年以降の材料、燃料等の異常な高騰に対処していくために従業員一人当りの生産高を高める以外に方策はないと考え、前記の四直三交替制を導入し、希望退職、桑名転勤、配置転換により人員を削減しようとした。勿論これは労働条件の悪化という労働者の犠牲を当然の前提とするものであったから、組合としては組合員の権利を守るために闘うべきであるのにこれをなさず会社と協調する態度をとるに至った。そこで申請人ら社青同グループは、各職場において生産設備の改善なしには生産高の向上は望めないこと、常態的な残業及び有給休暇のとりにくいことは極端な人員削減に原因があることを指摘し労働条件の改善を訴え、自らも率先して残業を拒否し有給休暇を消化するといった労働者として極めて基本的な権利を行使する運動を展開した。

(5) 申請人川山の昭和五二年六月の桑名転勤及び同年一〇月の配転拒否闘争

昭和五二年六月、申請人川山は桑名工場へ転勤を強要された。そこで申請人らは桑名配転拒否者会議を結成し会社の強要をはねつけた。続いて同五二年一〇月、申請人川山は工業用品課へ配転を強要された。同人は配転に応ずれば成型職場の人員不足を生じ労働強化が一層強化されるのでこれを拒否し申請人らが同人を支援したが、会社の業務命令により従わざるを得なかった。

(6) 「三つの目標」、「三つの責任」運動の拒否闘争

会社は昭和五三年六月工場再建の一方策として「三つの目標」運動、すなわち従業員の一人一人がそれぞれ三つの目標を立てそれを職場内に貼り出し毎月各自がその目標の達成を評価するという運動を行った。しかしこれは生産性の向上を図る巧妙な労務管理であることは明らかであったので、申請人ら社青同グループ及びその同調者は最後まで拒否し闘った。この運動は、同五四年一月「三つの責任」と名をかえて行われたが、申請人らはこれを断固として拒否した。

(7) 職場内における情宣活動

申請人徳丸、同松永らは昭和五〇年頃から「職場ニュース」を発行し同五一年六月頃まで各種のビラを発行した。

(8) 「まなぶ」運動と社青同活動

申請人らは、労働大学発行の月刊学習誌「まなぶ」を購読し月に一、二回学習会を開いていた。会社における「まなぶ」学習会は昭和四六年、当時執行委員であった深沢肇夫が主催して始めたものであるが、昭和四七年に申請人松永が参加したのをはじめ他の申請人らは順次これに参加した。また、社青同(日本社会主義青年同盟)は昭和三五年に生れた日本社会党と協力関係にある組織であるが、申請人松永が昭和四七年に社青同に加盟した後後述のとおり申請人らがいずれもこれに加盟した。そして組合とは別個に申請人らは社青同グループとして春闘をはじめとする各種の闘争をなしたほか、普段から活発なオルグ活動を行い、組合役員選挙に際しては後記申請人ら個人活動の項において述べるように、組合役員に立候補し、選挙運動を通じて情宣活動を行った。

(五)  申請人らは社青同グループとして(四)に述べた活動をしたが、なお個人的にこれを分述すれば以下のとおりである。

(1) 申請人木下

申請人木下は、入社の翌年である昭和四六年職場委員となった。当初は組合活動にさ程の関心をもたなかったが会社の過酷な労働条件と職制に対する反発がきっかけで同五一年二月社青同に加盟した。そして同年四月、加硫職場を廃止する提案がなされた際には廃止反対を唱えて同職場の者と話し合い、会社の提案に積極的に対応しない組合と交渉した。また同年六月、会社から三八〇名の希望退職者募集の提案がなされた際は申請人ら社青同グループとともに集会を開いたり従業員の家庭を廻って希望退職に応じないよう訴え、自らも会社からの退職強要を拒否した。さらに申請人木下は、社青同運動で学習した成果として年休を全部消化し、昭和五二年からは残業を拒否し、同年六月社青同学習会の仲間である申請人川山、草場、斉藤、池田らに対する桑名工場への配転命令を拒否する運動を行い、同五三年六月会社からの「三つの目標」提出命令に応じなかった。また組合役員選挙に際しても同五一年九月申請人徳丸を副支部長候補に立てて斗い、自らも同年一〇月職場委員選挙に、同年湘南支部大会代議員選挙に、同五二年九月職場委員選挙にそれぞれ立候補したが落選し、同年の湘南支部大会代議員選挙には立候補して当選した。なお、同五三年八月施行の湘南支部執行委員選挙に立候補したが落選した。

(2) 申請人松永

申請人松永は、配属されたバイクタイヤ課成型職場において組合活動が比較的活発だったことから組合活動の重要性を認識し、昭和四七年七月頃社青同に加盟した。そして、同四七年及び同四八年大会代議員となり、同年一〇月青年婦人部長となって春闘時の門前ビラ配付等情宣活動、各種リクリエーション活動を推進し、同四九年に職場委員となり会社から提案された連続操業(四直三交替)案に対し職場集会を呼びかけるなど反対活動を行った。同五一年一月原課長らから九州営業所への販売応援を命ぜられたがこれを拒否した。同年六月、三八〇名の希望退職者募集の際には青年婦人部副部長又は職場委員としてビラ配付、職場集会、学習会を開くなどして積極的な反対活動を行い、同年七月二三日から始った会社による退職者選定のための面接では秦野課長代理から「君は会社再建のメンバーに入っていないので辞めてくれ。」と言われたがこれを拒否した。

(3) 申請人小堺

申請人小堺は、配属された加硫職場において一所懸命勤務し精励彰や皆勤彰をもらったが、昭和四九年重労働のため腰痛を起して仕事を休んだところ、職制から公傷の認定を拒否され、次第に組合活動の重要性に目覚めていくうち同五二年二月申請人松永から誘われて「まなぶ」学習会に入り同五三年五月社青同に加盟した。そして同五三年頃から残業を拒否する基本姿勢を明確にし、同年六月会社が生産性向上運動の一環としてした「三つの目標」運動を拒否した。また、同年八月及び九月に行われた組合役員選挙には副支部長及び執行委員に立候補し落選はしたものの労働者のために動く労働組合に改革すべく努力した。

(4) 申請人気仙

申請人気仙は、年次有給休暇の行使に干渉する会社のあり方に疑問を感じていたが、昭和五一年六月「まなぶ」講演会に参加した後学習会にも加わり、同年九月社青同に加盟した。そして同月組合本部大会代議員選挙に関してなされた班長からの干渉に強く抗議したのをはじめ、同五二年四月には作業長のノルマ達成についての要請に対し強く抗議した外、職場内の諸問題について職制に対し度々改善を申し入れたり抗議したりし、同年一〇月以降残業命令を拒否、同五三年六月前記の「三つの目標」運動に応じなかった。また、同五二年八月、湘南支部執行委員選挙に、同年九月職場委員選挙に、同五三年九月職場委員選挙に、同月湘南支部大会代議員選挙にそれぞれ立候補したがいずれも落選し、同年一〇月湘南支部青年婦人部職場幹事に当選した。

(5) 申請人蒲原

申請人蒲原は、昭和五一年四月「まなぶ」学習会に参加するようになり間もなく社青同に加盟した。そしてその頃から残業を拒否し年休を消化するよう努めた。同年九月申請人徳丸が組合執行部側の候補者に対立して湘南支部副支部長候補として立候補した際、同人を支持して選挙活動を行った。同じ頃湘南支部大会代議員選挙に立候補したが落選し、同年一〇月湘南支部青年婦人部職場幹事に当選した。その後組合活動を活発に行い、「まなぶ」学習会への参加も呼びかけ約一五名が参加するようになり、社青同にも申請人川山ら三名を加盟させた。同五三年「三つの目標」運動には応じたものの、同五四年「三つの責任」提案に対してはこれを拒否した。同五三年一〇月申請人伊藤及び同川山とともに湘南支部青年婦人部役員選挙に立候補したが落選した。

(6) 申請人川山

申請人川山は、昭和五一年七月組合員となり、同年一〇月頃「まなぶ」学習会に参加し、同五二年一一月社青同に加盟した。同五二年一月年次有給休暇を電話で請求したところ会社が欠勤扱いにしたため職制に強く抗議し、同年六月桑名工場へ転勤の話がでたがこれを拒否した。同年一〇月工業用品課へ移ったが休憩すらとらせようとしない会社の労務政策に抵抗ししばしば末端職制と衝突した。また前記「三つの目標」及び「三つの責任」運動に対してもこれを拒否した。同五三年八月及び九月の組合役員選挙には申請人らの中から候補者を立て、同年一〇月の湘南支部青年婦人部役員選挙に立候補したが、いずれも当選しなかった。

(7) 申請人伊藤

申請人伊藤は、昭和五一年六月頃から「まなぶ」学習会に参加し同五三年七月社青同に加盟した。同年九月湘南支部青年婦人部職場幹事に、同五二年一〇月青年婦人部副部長になり積極的に活動した。同五三年三月ころから残業をほとんど拒否した。同年六月の前記「三つの目標」運動には一応従ったが消極的であった。同年九月申請人蒲原及び同川山とともに青年婦人部役員選挙に立候補したが落選し、職場幹事に当選した。

(8) 申請人徳丸

申請人徳丸は、昭和四七年七月組合員となり、同四八年一一月頃から「まなぶ」学習会に参加し同四九年一〇月社青同に加盟した。そして同四七年及び同四九年職場委員となり、同年九月湘南支部執行委員選挙に立候補して落選したが、そのころ会社の第四青雲寮自治会長に選ばれた。同年一〇月会社が、四直三交替制を提案した際終始主導的な立場で反対運動を推進した。同五一年一月営業所への販売応援を命ぜられたが、組合活動家を職場から排除しようとする会社の意図を察しこれを拒否した。同年三月会社から出されたB工場加硫職場の廃止案に対し申請人木下、同小堺らと共に反対運動を行い、同年六月には退職強要をはねのけた。また、同四九年以降残業を拒否し同五三年の前記「三つの目標」運動をも拒否した。同五一年の職場委員選挙、同五三年八月の湘南支部役員選挙同年九月の執行委員選挙に立候補したがいずれも落選した。

(六)(会社の申請人らに対する敵視)

会社は、申請人らの前述の合理化反対活動などの組合活動、「まなぶ」学習会、社青同活動などに異常な関心をよせ常時監視の目を光らせていた。申請人らの動静は寮の舎監等により逐次会社に報告され、他の従業員に対して申請人らと付合わないよう申し向け、組合役員選挙では申請人らに投票しないよう働きかけたりした。

(七)  会社は、昭和五四年二月大巾な人事削減、販売部門の別会社化等を内容とする再建合理化計画を組合に提示した。右計画案の内容には全従業員より二二〇名の希望退職者を募集すること及び桑名工場への人員再配置問題が含まれていた。これに対し組合は会社と団体交渉を重ねた結果、同年三月八日希望退職者募集等について合意をみ、同月一二日協定書及び覚書の調印をしたが、希望退職者は当初の案より二四名減少させ一九六名とすること、右二四名のうち七名は提案後退職した者、残り一七名は桑名工場への転勤者とすることとなった。而して右協定では湘南工場から桑名工場への転勤については、同月一七日から同月二四日までの間に全員に対し面接を行い諾否を打診するとされていたのに、会社は右協定を無視して希望退職者を募集中である同月一六日に突如として申請人木下、同松永、同小堺、同伊藤、同蒲原、同徳丸及び申請外森川の七名に対してのみ面接を行い桑名への転勤に応ずるよう申し向けた。そこで申請人らは同月二二日組合を通じて会社に抗議した結果全員に対して面接が行われたが、申請人ら以外の従業員に対する面接は時間も三分程度であって形式的に行われたに過ぎない。しかも申請人らに対する面接では「桑名へ転勤ができなければ辞めて欲しい」と発言したりした。また会社は湘南工場の人員が過剰であるとの理由で申請人らに対し桑名工場への転勤を求めたとしておきながら、全員面接の過程で退職を申し出た数名に対して退職することを押しとどめたりした。

(八)  以上によって明らかなように、本件配転及び本件解雇は、会社が申請人らの組合活動を嫌悪しその排除のためにねらい打ち的になしたものであって、正当な組合活動を理由としてなされた不利益な取扱として労組法七条一号の不当労働行為に該当する無効なものである。

4(思想信条による差別)

申請人らが行った諸活動のうち「まなぶ」活動、社青同活動は一面において思想、信条に基づく行為であるから、会社が右を嫌悪して申請人らに対し桑名工場へ転勤を命じ、さらに懲戒処分に付したことは思想信条による差別扱いとして労基法三条に違反し無効たることを免れない。すなわち

(一)  社青同は、前述のとおり昭和三五年に結成された青年政治同盟であり、日本社会党の最左派である社会主義協会の影響を強く受け反独占資本を基本的立場とし、日常活動として職場における反合理化闘争と学習闘争を重視している組織である。昭和四八年のオイルショック以降の経済不況は労働運動のあり方にも大きな影響を与え、これまで階級的立場をとってきた労働組合も企業防衛、雇用確保を重視するようになり、労使協調路線ないしはそれに近い立場をとる労働組合が急激に増加していった。社青同は、不況下における首切りや労働強化という合理化攻撃の中で、資本と対決できる労働組合づくりを目指して職場の内外における積極的な活動を展開してきた。また社青同は、職場における組合活動家を育成、組織するために、労働大学発行の月刊学習誌「まなぶ」を使用した学習会づくりを進めた。

(二)  申請人らは、前述のとおり組合活動に参加する中で「まなぶ」学習活動を行い、政治的関心を深め、全員が社青同に加入した。そして毎月二回社青同日東タイヤ班として会合を開いて各人の職場の状況を報告し、今後の職場における活動方針を決定し、また毎月二回会合を開いて「空想から科学へ」などの文献を学習して階級的労働運動を進める者として視野を広げた。

(三)  申請人らは、職場においても社青同のグループとして前述の反合理化闘争のほかに、昭和五一年以降毎春闘時に春闘パンフレットを出し、同五二年以降社青同の中央機関紙「青年の声」の号外を各自職場の休憩室黒板に貼り出した。また申請人らは、社青同主催の各種の全国的な集会にも各自年次有給休暇をとって参加した。

(四)  会社は、申請人らの右のような社青同グループとしての積極的な政治活動を嫌悪し、湘南工場従業員の中に申請人らの同調者が増加することをおそれ、それを阻止するためにあるいはみせしめとするために本件配転及び本件解雇をなしたものであるから、本件配転及び本件解雇は労働基準法三条に違反し無効といわねばならない。

5(労働契約違反)

申請人らはいずれも会社に雇用されるにあたり本社ないし湘南工場勤務を志望し会社もこれに同意したのであるから、申請人らと会社との間において勤務場所を本社ないし湘南工場とする労働契約が成立していた。したがって、本件配転は会社による一方的な労働契約の内容の変更であり、従来の労働契約の範囲を逸脱した無効なものである。

仮に、申請人らと会社との間において勤務場所を本社ないし湘南工場に限定する旨の労働契約が成立していないとしても、会社においては労働者の意向を事前に打診しその同意を得たうえで転勤を命ずるという慣行が成立しており、右慣行は事実たる慣習として各個の労働契約の内容をなすものとなっているのであるから、本件配転は右慣行に反し無効である。

6(解雇権の濫用)

申請人らは永年にわたって湘南の地で勤務し生活基盤を築いてきており、本件配転は申請人らの労働条件、生活条件に多大の不利益を生じさせる。他方会社にとっては当初予定した希望退職者募集人員二二〇名を大きく上廻る二六二名が希望退職に応じ、本社、湘南工場においても当初予定数をはるかに上廻る希望退職者が出たのであるから、本件配転の業務上の必要性は全く消失した。このように本件配転は何ら業務上の必要性がないのになされたものであるから、権利濫用に該当し無効である。

然らば違法な配転命令に従わなかったことを理由とする本件解雇は、合理的な解雇理由を欠くものというべきであるから解雇権の濫用に該当し無効である。

7(賃金額)

会社は従業員に対する月例賃金を毎月二五日に支払っているところ、申請人らの昭和五四年四月(申請人徳丸については同年五月)から同五八年九月(申請人伊藤については同五七年一月)までの月例賃金、夏期一時金及び冬期一時金の金額並びに同五八年一〇月(申請人伊藤については同五七年二月)以降の月例賃金額は別紙目録(略)(一)記載のとおりである。

8(保全の必要性)

申請人らはいずれも会社から支給される賃金を唯一の収入源として生計を立てているもので、本案判決確定に至るまでその支払を受けられなければ回復し難い損害を受けるおそれがある。

9(結論)

よって、申請人らは被申請人に対し、申請の趣旨記載の裁判を求める。

二  申請の理由に対する認否

1  申請の理由1の事実は認める。

2  同2の事実は認める。

3  同3(一)のうち全日本ゴム産業労働組合総連合は総評に加盟しなかったから組合も総評に加盟しておらず、したがって組合が昭和四九年一月総評から脱退したということはない。その余の事実は認める。

同3(二)のうち、田中達夫前社長が三菱商事の出身であること、昭和五〇年に三直三交替制職場において四直三交替制への移行がなされ、操業短縮、マル総計画が実施されたことは認めるが、その余の事実は否認する。

同3(三)のうち、会社が組合人事に介入したことは否認する、その余の事実は不知。

同3(四)の冒頭の事実は不知。

同3(四)(1)のうち、会社が昭和四九年秋組合に対し四直三交替制を提案し組合の同意を得て実施したことは認めるが、その余の事実は否認する。

同3(四)(2)のうち、会社が昭和五一年四月B工場加硫施設の廃止を実施したこと、組合がこれに同意したことは認めるが、その余の事実は否認する。

同3(四)(3)のうち、会社が昭和五一年六月三八〇名の希望退職者募集をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

同3(四)(4)のうち、申請人らの残業時間が少いこと、申請人らが有給休暇を全部消化する傾向にあること、組合が四直三交替制に同意したことは認めるが、その余の事実は否認する。

同3(四)(5)のうち、申請人川名に対し桑名工場への転勤を打診したことがあること、事情によってその話を取り止めたこと、同人の工場内での職務の分担を変更したことは認めるが、その余の事実は否認する。

同3(四)(6)のうち、会社が同五三年六月から「三つの責任」運動を実施したこと、従業員の中で右運動を拒否した者がいたことは認めるが、その余の事実は否認する。「三つの責任」運動は、重大な経営危機に直面した会社が、従業員の意識向上を図って製品の品質を確保し、コストを低減させるため、整理整頓・安全・無駄の排除等身近なことについて従業員各人にそれぞれ三つの責任項目を自己申告させ、月毎に自己評価させようというものであった。

同3(四)(7)の事実は不知。

同3(四)(8)の事実は不知。

同3(五)(1)のうち、昭和五一年六月加硫職場の一部を廃止したこと及び会社がその頃希望退職者の募集をしたことは認めるが、その余の事実は不知。

同3(五)(2)のうち、会社が昭和五一年一月申請人松本に対し九州営業所へ販売応援をするよう説得したが同人が拒否したこと、同年の希望退職者募集にあたり同人に退職に応募するよう勧奨したが同人が拒否したことは認めるが、その余の事実は不知。

同3(五)(3)のうち、申請人小堺が勤務優良社員として表彰されたことは認めるが会社が公傷の認定を拒否したことは否認する。その余の事実は不知。

同3(五)(4)のうち、会社が年次有給休暇の行使に干渉したこと、職制が組合本部大会代議員選挙の際選挙に干渉したことは否認する。その余の事実は不知。

同3(五)(5)のうち、会社が昭和五三年「三つの責任」運動を提案したことは認めるが、その余の事実は不知。

同3(五)(6)のうち、申請人川山が昭和五二年一月八日、九日の両日欠勤したこと、会社が同年六月桑名工場への転勤を打診したことがあるが、事情によって取り止めたこと、同人が同年一〇月工業用品課へ移ったことは認めるが、同人が同年一月年次有給休暇を請求したこと、桑名工場への転勤の件で抗議したこと、工業用品課においては休み時間が満足にとれず班長と口論になったことは否認する、その余の事実は不知。

同3(五)(7)のうち、申請人伊藤の残業が昭和五三年三月ころ以降少ないことは認めるが、その余の事実は不知。

同3(五)(8)のうち、申請人徳丸の残業が少ないことは認めるが、昭和五一年八月の湘南支部役員選挙に会社が介入したことは否認する、その余の事実は不知。

同3(六)の事実は否認する。

同3(七)のうち、会社が昭和五四年二月再建合理化計画案を組合に提示し、組合と全員面接による希望退職者の再募集期間を三月一七日から同月二四日までと協定したこと、三月一七日から逐次面接を実施したこと、会社が申請人らに対し三月一六日転勤命令を内示して意向を打診したことは認めるが、その余の事実は否認する。

同3(八)は争う。

4  同4の冒頭の事実は否認する。

同4(一)ないし(三)の事実は不知。

同4(四)のうち、申請人らが「青年の声」の号外を休憩室に貼ったことは否認する、その余の事実は不知。

同4(五)の事実は否認する。

5  同5の事実は否認する。

6  同6の事実は否認する。

7  同7のうち、会社が従業員に対する賃金を毎月二五日に支払っていることは認めるが、その余の事実は否認する。

なお、申請人らの賃金額は別紙目録(二)記載のとおりである。

8  同8の事実は否認する。

三  被申請人の主張

1  会社業績の推移

(一) 概況

(1) 会社は昭和二四年七月一日主として自動車タイヤの製造、販売を目的として設立され、当初湘南工場においてトラック・バス用のタイヤを中心に製造していたが、同五〇年桑名工場を新設して乗用車用ラジアルタイヤの生産を開始した。会社製品を取り扱う販売代理店は全国に直営店一三、系列店一六の計二九店があるが、その数は同業他社に比べて非常に少ない。わが国におけるタイヤメーカーは会社を含め六社存するが、メーカー間の格差が顕著であること及びシェアーの拡大をめぐる構造的ともいえる激烈な販売競争がこの業界の特徴である。

(2) 会社の場合、<1>業界最後発のタイヤメーカーであるため、自動車メーカー向け納入が確保できず、交換用タイヤとして需要の不安定な一般市場向け販売を余儀なくされていること、<2>販売代理店が少なく、販売体制が弱体であること、<3>生産品目がトラック・バス用のタイヤに偏り、乗用車タイヤの割合が少なかったため、乗用車部門を中心とするわが国自動車産業の興隆に乗り遅れたこと等の理由により、会社の販売シェアは三・六パーセント(昭和五三年度)前後を低迷していた。

(3) このことは必然的に会社の生産コストを押し上げ、加えて同業他社に比べ従業員一人あたりの生産性が低いため、会社は慢性的な経営不振に苦しんできた。会社は昭和三八年三月期決算において無配となり爾来配当を実施することなく、同四四年度以降損益収支で利益を計上し得たのは同四四年度、同四七ないし四九年度の四決算期、貸借対照表上剰余金を計上し得たのは同四九年度の一決算期に過ぎない。

(二) 業績の急激な悪化

(1) 会社は以上のような脆弱な体質を内包しながらも、タイヤ市場が量的に拡大の傾向にあり、会社なりにタイヤの販売量を伸長させてきたため、なんとか危機的事態を回避し得てきたのであるが、昭和四八年末のオイルショックとその後の極端な景気後退を契機として、会社業績は急激に悪化した。すなわち、会社は同五〇年度決算期において約七億五〇〇〇万円の経常損失を出し、その後も同五一年度に約三二億四〇〇〇万円、同五二年度に約二八億円、同五三年度に約一五億八〇〇〇万円の経常損失を出して累積欠損は約五九億八〇〇〇万円に達し、会社総資産約三四〇億一〇〇〇万円に対し総負債約三四三億六〇〇〇万円、差引き約三億五〇〇〇万円の債務超過という経営危機を迎えた。

(2) 会社は、これに対して可能な限りの経営努力を重ね、業績の回復を目指してきた。

(イ) 昭和四九年六月約一〇〇億円を投じて桑名工場の建設に着手して同五〇年三月完成、同工場で乗用車用ラジアルタイヤを製造することによって生産性の向上と市場の拡大を図った。

(ロ) 昭和五〇年コストの徹底引下げを企図して、一月から三月にかけて一~三危機突破運動、八月以降マル総運動を推進した。

(ハ) 昭和五一年二月から販売の激減に対処するため各地区の販売代理店へ販売応援を実施し、七月にはB工場加硫施設の廃止等湘南工場不採算部門の廃止、三八〇名の希望退職者募集、組織の統廃合等一連の合理化策を実施した。

(ニ) 昭和五二年六月管理職約四〇名を含む人員の削減、湘南工場から桑名工場への転勤等大幅な人事異動を実施し、また「三つの責任」運動を展開して従業員のモラルの向上を図った。同年八月資本金を一八億四〇〇〇万円から三六億八〇〇〇万円に増資して金利負担の軽減を図った。

(3) しかしながら、前記オイルショック以降、<1>トラック・バス用の大型タイヤ販売の激減、<2>供給過剰に伴う価格競争の激化、<3>原材料費の高騰によるコスト高、<4>二〇〇億円を超える借入金利の重圧、<5>構造的な低生産性等の理由により、会社の各種方策は挫折し、さらに<6>昭和五二年以降の急激な円高によって会社販売量の約三割を占めていた輸出量が半減した。こうして会社は同五三年一二月末決算において債務超過に陥り、会社存亡の危機に直面した。

2  本件配転に至る経緯

(一) 会社再建合理化計画の策定

会社は、三億五〇〇〇万円の債務超過という深刻な局面を一刻も早く打開し企業の再建を図るべく、会社の今後のあり方を含め会社の実態を徹底的に見直す作業を行った。その結果昭和五四年二月、<1>生産規模の適正化と所要人員の効率化、<2>販売部門の分離独立と再編成、<3>間接部門の組織の簡素化と人員の大幅削減、<4>財務体質の改善等を骨子とする再建合理化計画を策定した。右のうち、<1>生産規模の適正化と所要人員の効率化については、同五〇年に操業を開始したばかりの新鋭工場である桑名工場を会社の主力工場としてその生産体制を一層強化していくこととし、湘南工場については生産品目に絞りをかけ規模を大幅に縮少して存続させることにした。そこでこの方針に基づき、湘南工場については同五三年一二月在籍人員(直労人員)五六八名を五一四名に削減し、桑名工場については同月在籍人員(全従業員)四三五名を四四〇名に増員する生産体制を予定した。また、<3>間接部門組織の簡素化と人員の大幅削減については、本社及び湘南工場の間接部門の昭和五三年一二月末現在在籍者二七四名を八六名削減し一八八名とするものであった。

(二) 希望退職者の募集

(1) 会社は、前記再建合理化計画の一環として二二〇名の希望退職者を募集することにした。そしてその方法として全従業員を対象に勤怠不良者以下一〇項目の募集基準を設定し、募集期間は昭和五四年二月二二日から同年三月二日までの間、退職発令日は同月七日、規定の退職金の他年齢、勤続年数に応じて特別加算金を支給し、斡旋センターを設置して就職を斡旋するとの募集案を作成し、同年二月一三日開催の労使協議会において右再建合理化計画とともに組合に提示し、その目的、内容、必要性等について説明した。また会社は、翌一四日全従業員に対し右再建合理化計画の概要を発表した。

(2) 組合は会社の右提案に対し、従業員の削減は絶対反対であるとして希望退職者募集の白紙撤回を強硬に主張し、同月一五日、一九日、二一日、二三日、二六日と団体交渉を重ねたが、組合は白紙撤回の主張を譲らず同月二七日二四時間ストライキに突入した。会社は同月二八日組合に対し大幅な修正案を提示したうえ、再建合理化計画の目的、必要性について再度説明を加え組合の理解を求めたが、組合は同年三月二日会社に対し、同月六日以降四八時間のストライキを通告してきた。そこで会社は同月五日募集基準の白紙撤回を含む最終的な修正案を示して組合の協力を強く要請したところ組合も漸くにして人員削減の必要性を認めるに至り、同月七日、八日希望退職者募集の条件について交渉し、同月一二日会社と組合との間において希望退職者の募集及びその後の人員配置等について協定を締結した。

(3) 会社と組合との間において締結された協定の主たる内容は以下のとおりである。

(イ) 会社は全従業員中より本人が退職を希望する者を募集し、募集期間は同月一三日から一六日までの間とし引き続き転勤等配置転換の可否を確かめる。全社的に配員を調整する必要上同月一七日から同月二四日まで全員面接による再募集を実施する。退職発令日は同月二四日とし、規定の退職金の他に会社案に上積みした特別加算金、さらに特別餞別金を支給する。会社内に就職斡旋センターを設置しあらゆる職種、年齢にわたる求人状況資料を準備するとともに就職先の紹介、斡旋を行う。

(ロ) 会社は希望退職者募集後の編成替等による人員の再配置、職種転換、社内配転及びこれらに伴う勤務態様の変更等については組合と協議のうえ実施する。

(ハ) 会社は今次の希望退職が終了した後は希望退職者の募集は行わない。

(ニ) 会社は原則として今後一年間新規採用は行わない。

(4) 会社は、右協定に従い同月一三日から希望退職者の募集を開始したが、同月一六日までに応募者が九四名に過ぎなかったため、同月一七日以降同月二四日まで全員面接を行い、この結果同日までに合計二六二名の応募者があり、右二六二名は同日付で退職した。

(5) なお会社は、希望退職者の募集と併行して、同月資本金を四八億円に一旦増資した後、同年五月六割減資を行い、同年四月一日日東タイヤ販売株式会社を発足させて会社の営業部門の組織、人員をすべて同社に移し、東洋ゴム株式会社との提携を実施する等再建合理化計画を実行していった。

(三) 希望退職者募集に伴う人員再配置計画

会社においては、希望退職者募集に伴い必然的に生ずる各職場、工場間の配員上のアンバランスを修正するため人員の再配置が必要であったところ、桑名工場においては希望退職者募集初日の同年三月一三日、製造課成型職場から九名、同課切断職場から二名、計一一名の一般従業員が退職を申し出た。そこで桑名工場長は本社小杉総務部長に対し、現段階で製造課要員として若い年代の者を中心に一〇名程度至急補充してほしい旨の要請をした。会社は全社的な見地から検討した結果、<1>桑名工場は会社の主力工場として重要な役割を担っており生産能力をできるだけ維持すべきであること、<2>成型職場はタイヤ製造に関する基幹職場であり、この職場に欠員が生ずると予定している生産体制を維持できないこと、<3>湘南工場では生産品目を絞り、人員体制を大幅に縮少する予定であること等の観点から、桑名工場長の右要請に応ずることとした。ただ、希望退職者募集開始早々であることから、全体の人員補充については希望退職者募集が一段落した時点で再度検討することにして、その旨桑名工場長の了承を得た。

(四) 人選の経過

(1) 会社は桑名工場への一〇名の補充人員を人選するにあたり、各職場の業務及び配員状況等を勘案して、試験グループ回転試験一名、業務課一名、タイヤグループ材料一名、同大型成型一名、同小型成型二名、同加硫一名、チューブグループ一名、工業用品製造課製造グループ一名、営業本部(販売代理店出向者)一名と割り振った。

(2) 次に、各職場において適当な人材を選考することになるが、桑名工場長の要請の内容を考慮して、<1>健康で比較的若い者、<2>転勤について支障の少ない者、<3>転勤させても業務に支障の少ない者、との人選基準の大綱を設定した。

(3) 右基準に則り、各職場で最も適任と判断される者の選考を進めた結果、申請人ら八名外二名合計一〇名が選出された。

(イ) 申請人木下は、業務課に所属してバイクタイヤの整理、保管の作業とタイヤとチューブをセットして出荷する作業に従事し、年齢二七歳で同課で最も若くかつ健康であり、当時独身でアパートに住んでいた。会社は不採算部門であるバイクタイヤの生産を縮少しバイクチューブは一時生産を中止する計画で、当時一一名いた作業従事者を七名に減員する予定であった。

(ロ) 申請人松永は、タイヤグループ小型成型職場に所属し、年齢は二八歳で同職場においては申請人気仙に次いで若くかつ健康であり、独身で会社の寮に居住していた。また、桑名工場成型職場と作業内容を共通にしていた。

(ハ) 申請人小堺は、タイヤグループ加硫職場に所属し、年齢は二八歳で若く、健康であり、独身で会社の寮に住んでいた。同人は昭和四五年七月及び同五一年七月に勤務優良社員として表彰された実績を有している。

(ニ) 申請人気仙はタイヤグループ小型成型職場に所属し、年齢は二六歳で同職場では最も若く、健康であり、独身で会社の寮に住んでいた。また、桑名工場成型職場と作業内容を共通にしていた。

(ホ) 申請人蒲原は、タイヤグループ大型成型職場に所属し、付帯作業中比較的単純な作業であるトレッドを輪状に接合する作業(トレッドジョイント)を担当していた。年齢は二二歳で付帯作業従事者中最も若く、すこぶる健康であり、独身で会社の寮に住んでおり、担当作業の性質上転勤させることによる職場での支障は少なかった。

(ヘ) 申請人川山は、工業用品製造課製造グループに所属し、年齢は二一歳で健康であり、独身で会社の寮に住んでおり、昭和五一年四月入社以降同五二年一〇月まで小型成型を担当したこともあり桑名工場成型職場でその経験を生かすことが可能であった。

(ト) 申請人伊藤は、チューブグループに所属し、バイクチューブの製造を担当し、年齢は二一歳で、健康であり、独身で会社の寮に住んでいた。バイクチューブは昭和五四年四月以降一時生産を中止する計画であり、この製造に携っている従業員は全員再配置の対象になっていた。

(チ) 申請人徳丸は、間接部門である回転試験職場に所属し、年齢は三二歳であるが、比較的高齢者の多い同職場では若い方で、すこぶる健康であり、当時独身でアパートに住んでいた。同人の職場は八名であったが昭和五四年四月一日から三名にし、五名前後の人員を再配置する予定であった。

3  本件解雇に至る経緯

(一) 本件配転の内示

会社は、昭和五四年三月一六日申請人木下、同松永、同小堺、同蒲原及び同伊藤に対し、同月一七日申請人徳丸に対し、同月一九日申請人川山に対し、同月二一日申請人気仙に対し、いずれも各所属課長を通じて桑名工場製造課への配転を内示した。これに対し申請人らは配転を拒否する意向を示したので、会社は申請人らに対し連日のごとく面談して説得した。しかしながら申請人らは配転に応じられない理由として「行きたくないから。」「慣れたところを動きたくない。」等と似たような発言を繰り返して説得に応じなかった。

(二) 組合への協議申入れと人事通知発令

会社は、桑名工場の人員補充について検討した結果、桑名工場では当初の在籍予定人員四四〇名に対し希望退職者募集の結果在籍人員が四〇一名となり三九名の欠員を生じたのでこれを補充する必要があったが、他方湘南工場でも予定を超える希望退職者が出ていたので先に補充を決定した申請人ら八名を含む一〇名だけを桑名工場へ配転することとし、その余の不足分は社外工の導入等でとりあえず補充することに決定した。そこで会社は、同月二八日申請人らの配転を含む一連の人員再配置について組合と協議したが、組合は、申請人らの配転は桑名工場の生産体制を維持するために必要であり、本件配転についての異議はないとの態度であった。かくて会社は、申請人徳丸を除くその余の申請人らに対しては同年四月一日、申請人徳丸に対しては同月一九日、転勤命令(会社ではこれを人事通知と呼んでいる)を発したところ、申請人ら全員が拒絶の意思を表明した。これは明らかに業務命令違反であるが、会社は会社再建を第一義と考え申請人らに対し所属課長らを通じてその後連日のごとく面談し、桑名転勤の必要性と人選の理由等を説明して配転に応ずるよう説得したが、申請人らはこれを受け入れなかった。

(三) 業務命令書の交付と本件解雇

会社は、申請人徳丸を除くその余の申請人らに対して同月六日、申請人徳丸に対して同年五月八日、それぞれ業務命令書を交付して配転を命じたが、これを拒絶したので、就業規則八五条五号「職務上の指令・命令に従わず職場の秩序を乱し、または乱そうとしたとき」に照らし申請人らに対する懲戒解雇もやむを得ないとの結論に達した。そこで会社は右に関し組合に事前協議を申し入れ、組合においても申請人らに対し独自に説得を試みたが申請人らにおいて拒絶するに及び、組合も申請人らを懲戒解雇することはやむを得ないとの見解を表明した。よって会社は、申請人木下、同松永、同小堺、同気仙、同蒲原及び同伊藤に対し同年四月七日、申請人川山に対し同月一三日、申請人徳丸に対し同年五月一四日、それぞれ本件懲戒解雇の意思表示をした。

(四) 右のとおり、本件配転は希望退職者募集に伴う人員再配置の一環として発令されたものであり、債務超過に陥った会社を再建するために絶対に必要なものであった。したがって申請人らが本件配転を拒否したことは重大なる業務命令違反であり会社として申請人らを懲戒解雇したのは誠にやむを得ない措置というべきである。

4  申請人伊藤の任意退職

会社は、昭和五七年七月二三日、申請人伊藤との間において、会社が同人に対する本件解雇を撤回し、同人が同五四年四月七日付で退職し、両者間には一切の債権債務の存しないことを確認した。したがって同人には被保全権利は存しない。

5  申請人気仙の所在不明

申請人気仙は、昭和五五年中から所在不明であり、現在もその行方は全く分らない状況にある。したがって、会社と同人との間の雇用契約が有効に存続していたとしても、同人はこれを解約する旨の黙示の意思表示をなしたものというべきであるから同人には本件仮処分申請の被保全権利は存しないし、そうでないとしても、仮処分の必要性は存しない。

四  被申請人の主張に対する認否

1  被申請人の主張1(一)(1)の事実は認める。

同1(一)(2)及び(3)の事実は不知。

同1(二)(1)の事実は不知、同(2)の事実は認める。同(3)の事実は不知。

2  同2(一)の事実は認める。

同2(二)(1)の事実は認める。

同2(二)(2)のうち、組合が会社の提案に対し従業員の削減は絶対に反対であるとして希望退職者募集の白紙撤回を強硬に主張したことは否認し、その余の事実は認める。

同2(二)(3)ないし(5)の事実は認める。

同2(三)の事実は不知。

同2(四)(1)及び(2)の事実は不知。

同2(四)(3)のうち、申請人らの年齢、住居関係並びに業務内容は認めるが、その余の事実は争う。

3  同3(一)のうち、会社が昭和五四年三月一七日申請人徳丸に対し配転を内示したことは否認するが、その余の事実は認める。申請人徳丸に配転の内示があったのは同月二五日である。

同3(二)のうち、会社がその主張の日に申請人らに対し桑名工場への転勤命令(人事通知)を発したが、申請人らがこれを拒絶したこと、会社が申請人らに対し説得を試みたが申請人らが応じなかったことは認めるが、その余の事実は不知。

同3(三)のうち、会社がその主張の日に申請人らに対し桑名工場への配転の業務命令書を交付したこと、申請人らが配転に応じなかったこと、これに対し会社が就業規則八五条五号に該るとして申請人らを懲戒解雇したことは認めるが、その余の事実は不知。

同3(四)は争う。

4  同4は争う。

5  同5は争う。

第三疎明関係

本件記録中書証目録、証人等目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一  申請の理由1及び2の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  そこで本件配転命令が不当労働行為に該るか否かについて判断する。

1  被申請人の主張1(一)(1)の事実、同2(一)、(二)の各事実(同2(二)(2)のうち、組合が会社の提案に対し従業員の削減は絶対に反対であるとして希望退職者募集の白紙撤回を強硬に主張したことは除く。)、同3(一)の事実(但し会社が昭和五四年三月一七日申請人徳丸に対し配転を内示したことは除く。)、同3(二)のうち会社がその主張の日に申請人らに対し桑名工場への転勤命令(「人事通知」)を発したが申請人らがこれを拒絶したこと、及び会社が申請人らに対し説得を試みたが申請人らが応じなかったこと、同3(三)のうち会社がその主張の日に申請人らに対し桑名工場への配転の業務命令書を交付したが申請人らは配転に応じなかったところ、会社は申請人らの右業務命令拒否は就業規則八五条五号に該るとして申請人らを懲戒解雇したことは当事者間に争いがない。

2  (証拠略)を総合すると、以下の事実を一応認めることができる。すなわち、

(一)  会社は、昭和二四年七月一日、自動車タイヤの製造、販売を主たる目的として資本金一〇〇〇万円をもって設立され、当初神奈川県高座郡寒川町の湘南工場においてトラック・バス用のタイヤを中心に製造していたが、同五〇年三月三重県員弁郡東員町に桑名工場を新設して乗用車用ラジアルタイヤの生産を開始した。会社はその製品を販売代理店を通じて販売しているものであるが、会社の場合販売代理店として直営一三店、系列店一六店の合計二九店があり、これは同業他社と比較して非常に少ないものである。ところで我が国におけるタイヤメーカーは、現在、ブリジストンタイヤ、横浜ゴム、東洋ゴム、住友ゴム、オーツタイヤ及び会社の六社があるが、俗に、「一強五弱」といわれメーカー間の企業格差が大きく(右の「一強」とはブリジストンタイヤを指す)、シェアーの確保、拡大をめぐって激烈な販売競争をしている。このような状況にあって、会社は、<1>戦後に発足した業界最後発のタイヤメーカーであるため、タイヤ市場最大のユーザーである自動車メーカーの新車向け納入が殆んど確保できず、交換用タイヤとして需要の不安定な一般市場向け販売に頼らざるを得ないこと、<2>タイヤの販売体制については販売代理店が少ないため同業他社に比べ弱体であること、<3>同五〇年に桑名工場を新設するまでは生産品目がバイアスのトラック・バス用のタイヤに偏り、乗用車用タイヤの割合が少なく、このため乗用車部門を中心とする我が国自動車産業の興隆に対応できなかったこと、等の理由により、会社の販売シェアーは同業各社と比較すると極端に少なく常に四パーセント前後を低迷し、同五三年度は三・六パーセントであった。

(二)  一般にタイヤの生産には一定の人的体制及び物的設備が必要なため、シェアーが低く生産量が少ないことは必然的に生産コストを相対的に押し上げる結果になり、これに加えて会社においては機械類が老朽化し人員も相対的に過剰であり、多品種少量生産であるために、同業他社に比べ従業員一人当りの生産性が低く慢性的な経営不振にあった。したがって、会社の業績は低迷し、昭和三八年三月期決算以来配当は無く、同四四年度以降損益収支で利益を計上し得たのは同四四年度、同四七ないし四九年度の四決算期に過ぎず、貸借対照表上剰余金を計上し得たのは同四九年度の一決算期のみである。しかし会社は、右のように慢性的に経営が不振でありながらも、我が国経済の高度成長に助けられて若干ながら販売量を伸長させ、経営危機を回避し得てきたのであるが、同四八年末のオイルショックとその後の景気後退によってその業績は急激に悪化した。すなわち、会社においては、トラック・バス用のタイヤの売上げが激減したうえ販売競争が激化して価格が低下したが、逆にタイヤの主な原材料である合成ゴム、カーボン等が高騰して生産コストが大幅に上昇した。さらに同五二年以降の急激な円高によって輸出量は大幅に減少した。この結果会社は、同五〇年度には約七億五〇〇〇万円の、同五一年度には三二億三五〇〇万円の、同五二年度には二八億二〇〇〇万円の、同五三年度には一五億七八〇〇万円の各経常損失を出し、結局同年一二月末の累積欠損は五九億八三〇〇万円に達して当時の資本金三六億八〇〇〇万円を上回る状態となり、会社の総資産三四〇億円に対し総負債三四三億五〇〇〇万円差引き三億五〇〇〇万円の債務超過という経営危機に直面した。

(三)  もっともこの間、会社としても業績の回復をはかるべく以下のような努力をしてきた。

(1) 昭和五〇年三月に桑名工場を建設し、同工場において乗用車用ラジアルタイヤを生産することによって業界のラジアル化に対処した。

(2) 同年一月から三月にかけて「一~三危機突破運動」を展開し、同年八月以降はマル総運動を推進して、徹底したコスト引下げをはかった。

(3) 同五一年二月から各地区の直営店、系列店への販売応援を実施して三六名の会社従業員を応援に出し、同年六月には湘南工場のトラック、バス、軽トラックの加硫部門等不採算部門を廃止し、同年七月には三八〇名の希望退職者を募集した。

(4) 同五二年四月から同年七月まで管理職の賃金カットを実施し、同月に湘南工場から桑名工場への大幅な配転を行い、同年八月には資本金一八億四〇〇〇万円を三六億八〇〇〇万円に増資して借入金の返済にあてた。

(5) 同五三年六月以降従業員の意識向上を図り製品の品質を確保しコストを低減することを目的に、従業員に対し身近な事柄について三つの責任項目を自己申告させ月毎に自己評価をさせる「三つの責任」運動を展開した。

しかしながら、前述した<1>トラック・バス用のタイヤ売上げの激減、<2>販売競争の激化に伴う価格低下、<3>原材料費の高騰によるコスト高、<4>輸出量の激減、<5>二〇〇億円を超える借入金金利の重圧、<6>同業他社に比し著しく生産性が低いこと等の理由によって、同年一二月末には前述のとおり経営危機に直面した。

(四)  そこで会社は、昭和五四年二月、右のような経営危機を打開し企業の再建を図るため再建合理化計画を策定した。右再建合理化計画の概要は以下のとおりである。

(1) 生産規模の適正化と所要人員の効率化

湘南工場については、トラック・バス用タイヤ、チューブ、工業用品等多品種少量生産で生産効率が悪く、設備が老朽化し人員が相対的に過剰であったため、人員を削減し生産効率を高めるため直労人員を五六八名から五一四名に削減し、右人員で月産一二四一トン(新ゴム量)の生産を予定する。一方桑名工場は、同五〇年三月に完成した新しい工場で湘南工場に比較して生産性も相当高く、将来需要の増大が見込まれる乗用車用ラジアルタイヤを生産していたので、会社の主力工場として生産体制を強化し、人員を四三五名から四四〇名に増強して月産九〇〇トン(新ゴム量)を目標とする。

(2) 販売部門の分離独立と再編成

販売体制の弱さが会社業績不振の一つの原因となっていたことに鑑み、販売部門を切り離して独立採算により徹底した販売活動を行うべく、新たに日東タイヤ販売株式会社を設立し、ここに営業関係の組織、人員を全部移管する。また、東洋ゴム株式会社との販売提携、共同販売を推進し、あわせて販売拠点の再配置、流通コストの合理化を行い、販売効率の向上を図る。

(3) 間接部門組織の簡素化と人員の大幅削減

本社事務部門と湘南工場事務部門とを統合し、事務の一部を外部に委託するなどの方法によって、八六名の人員を削減する。

(4) 財務体質の改善

同五三年一二月末現在の借入金二五三億七四九〇万円につき、弁済の一部猶予と金利の引下げを関係金融機関に要請する。また、借入金を減少させるため、資本金三六億八〇〇〇万円を一旦四八億円に増資したうえ六割減資を行い資本金を一九億二〇〇〇万円とする。

(五)  会社は、右再建合理化計画を達成するためには湘南工場の直労人員中五四名、同間労人員中一六名、事務関係人員中三五名、技術関係人員中三五名及び営業関係人員中八〇名合計二二〇名の人員削減が必要であるとし、これを希望退職者募集という形で行うこととした。そしてその具体的方法として、勤怠不良者等一〇項目の募集基準を設定して全従業員から希望者を募る、募集期間は昭和五四年二月二二日から同年三月二日まで、退職発令日は同月七日、応募者には規定の退職金の他に年齢、勤続年数によって特別加算金を支給する、斡旋センターを設置して再就職の斡旋に努める等を骨子とした希望退職者募集案を作成のうえ、同年二月一三日に開催された労使協議会において、前記再建合理化計画とともに組合に提示し、その目的、内容、必要性等について説明した。また、会社は、全従業員に対し、右再建合理化計画の内容を説明した文書を配付し右計画に対する従業員の理解と協力を要請した。

(六)  組合は、会社の右提案に対し、会社の経営責任を厳しく追及し、人員削減には絶対反対であり希望退職者募集については白紙撤回を求めるという強硬な姿勢を示した。その後会社は、同月一五日、一九日、二一日、二三日及び二六日に組合と団体交渉を行ったが、組合は希望退職者募集白紙撤回の主張を掲げて譲らず、同月二七日二四時間ストライキを行った。そこで会社は、同月二八日、希望退職者募集基準の一部を削除する等の修正案を提示したが組合の了承するところとならず、組合は同年三月二日、同月六日以降に四八時間ストライキを実施するとの通告を行った。ここに至って会社は、同月五日、組合に対し一〇項目の募集基準及び人員枠の全面撤回を含む最終的な修正案を提示して説得に努めたところ、組合はようやく態度を軟化させ、同月六日、四八時間ストライキを中止した。しかして会社は、同月七日、八日に組合と希望退職者の募集条件について交渉し、同月一二日組合との間で希望退職者の募集及びその後の人員配置等について協定を締結した。

右協定の内容は、以下のとおりである。

「Ⅰ 希望退職の募集

1  募集方法

会社は、全従業員中より、本人が退職を希望する者を募集する。

2  募集期間

(1)  昭和五四年三月一三日(火)から三月一六日(金)までとする。

(2)  会社は、引続き転勤等配置転換の可否を確かめ、全社的に配員を調整する必要上、昭和五四年三月一七日(土)から三月二四日(土)まで全員面接による再募集を実施する。

(3)、(4)略

3  退職発令日

昭和五四年三月二四日(土)を原則とする。但し、状況により、それ以前の発令日とすることもある。

4  退職条件

(1)  退職支給金

(イ) 退職金支給規定第二条四号に定める「会社都合による退職者」の場合の退職金を支給する。

(ロ) 特別加算金として、次の通り支給する。(以下略)

(2)  特別餞別金

前(1)の退職支給金とは別に、特別餞別金として一律に一〇万円を支給する。

5  就職斡旋

会社は退職者の今後の生活のことを考え、本人の希望により極力再就職の斡旋に努める。このため社内に就職斡旋センターを設置し、あらゆる種類、年令にわたる求人状況資料を準備すると共に就職先の紹介斡旋を行う。

Ⅱ 編成替等

会社は、希望退職募集後の編成替等による人員の再配置、職種転換、社内配転およびこれらに伴う勤務態様等については組合と協議の上実施する。

Ⅲ 会社は今次の希望退職が終了した後は、引き続き希望退職の募集は行わない。

Ⅳ 会社は原則として今後一年間新規採用は行わない。

但し、再建合理化計画に基く予定人員を下廻る事態が生じた場合は労使協議する。」

(七) 会社は、右協定に伴い、同五四年三月一三日から同月一六日までの間希望退職者の募集を行ったが応募者が九四名にとどまったため、同月一七日以降同月二四日まで全員面接による再募集を実施し、その結果合計二六二名の希望退職応募者があり、右応募者は原則として同月二四日付で退職した。また、会社は、同年四月一日日東タイヤ販売株式会社を設立して販売部門の組織と人員を同社に移管するとともに、東洋ゴム株式会社との共同販売を推進し、資本の増減については同年三月三〇日の定時株主総会で決議がなされ同年五月二日に発効する等他の再建合理化計画についてもこれを実行に移していった。

(八) ところで、桑名工場においては、希望退職者の募集を開始した同年三月一三日、管理職二名、製造課成型職場の一般従業員九名及び同課切断職場の一般従業員二名、以上合計一三名の希望退職応募者があった。右のうち成型職場はタイヤ製造の中心部門であるところ、同職場から希望退職に応じた一般従業員九名の内訳は二〇歳代の者六名、三〇歳の者二名、三七歳の者一名であって若い年代の者が多かった。そこで桑名工場長は、同日、本社小杉総務部長に対し電話で、「このままでは、工場の生産計画に支障を生じるので、現段階で、成型工要員として一〇名程度補充してほしい。二〇歳代を中心とする若い従業員が希望退職に応募したので、それに見合った若い年代の者をよこしてほしい。事務系でも応募することが確実な者がいるので二名程度補充してほしい。」と要請した。これを受けた本社は同日最終的な決定は希望退職者数が確定した後にするが一応桑名工場へは本社及び湘南工場から成型要員として一〇名及び事務担当者として二名を転勤させることとし、その旨桑名工場長に連絡した。

(九) 会社は、同月一六日桑名工場の成型要員として申請人ら八名ほか二名を充てることに決め申請人木下、同松永、同小堺、同蒲原及び同伊藤に対しては同日、申請人徳丸に対しては同月一七日、申請人川山に対しては同月一九日、申請人気仙に対しては同月二一日それぞれ各所属課長等を通じて、桑名工場製造課への配転を内示した。これに対し、申請人らはいずれも配転に応じない意向を示した。そこで会社は対策を検討した結果、できる限り説得に努め、本人を納得させること、配転に応じられない客観的な事由があれば本人から聞いた時点で検討する、ということとし、申請人木下については同月一九日、二〇日、二一日、二九日、同松永については同月一七日、二四日、三〇日、同小堺については同月一八日、一九日、二三日、三〇日、同気仙については同月三一日、同蒲原については同月一九日、二三日、三一日、同川山については同月一九日、二〇日、二二日、二七日、三〇日、同伊藤については同月一九日、二三日、二九日、同徳丸については同月一七日、一八日、二一日、三〇日、同年四月三日、一六日、それぞれ各所属課長等を通じて配転に応ずるよう説得したが、申請人らはこれに応じなかった。

(一〇) この間会社は、同年三月二四日希望退職者の募集が終了した時点で、全体的な人員補充を検討したところ、湘南工場直労においては希望退職者が七八名であったため、希望退職者募集後の在籍者は四八六名となり、当初計画五一四名に比較して二八名不足し、本社事務関係及び営業関係で各三名の欠員を生じ(但し本社技術関係では一五名の剰員となる)桑名工場においては希望退職者が三六名あったため、希望退職者募集後の在籍者は四〇一名となり、当初計画四四〇名に比較して三九名不足することが判明した。然るところ会社は、最終的な配員計画として湘南工場直労から八名(申請人徳丸を除くその余の申請人ら七名と申請外森川。)、本社技術関係一名(申請人徳丸)及び営業関係から一名以上合計一〇名を桑名工場へ配転し、桑名工場でのその余の欠員分は社外工の導入等で補うことに決め、同月二七日、その旨桑名工場長へ指示、連絡した。

(一一) 会社は、同月二八日、希望退職に伴う全社的な人員再配置について組合に協議を申し入れ、その中で会社は申請人らに関する本件配転の必要性、人選の理由、発令予定日等を説明したところ、組合はこれを了承した。

(一二) 会社は、申請人徳丸を除くその余の申請人らに対し、同年四月一日桑名工場へ転勤するよう「人事通知」を発し、申請人木下については同月二日、三日、四日、同松永については同月四日、五日、同小堺については同月四日、五日、同気仙については同月三日、同蒲原については同月三日、五日、同川山については同月二日、四日、同伊藤については同月三日、四日、それぞれ各所属課長を通じて、配転に応ずるよう再度説得を試みたが、右申請人らはこれに応じなかった。また、会社は、申請人徳丸については同人が同月七日に結婚する予定であったのでこれが一段落ついた後の同月一九日桑名工場へ転勤するよう「人事通知」を発し、同月二五日、三〇日、同年五月八日、青柳総務部長代理等が配転に応ずるよう説得を試みたが、申請人徳丸はこれに応じなかった。

(一三) 会社は、申請人気仙に対し、同年四月四日付を以って同木下、同松永、同小堺、同蒲原、同川山及び同伊藤に対し、同月五日付でそれぞれ「昭和五四年四月六日付をもって桑名工場勤務を命ずる。昭和五四年四月六日以降は桑名工場にて勤務すべし。」との業務命令書を交付し、申請人徳丸に対し、同年五月八日付で「昭和五四年五月九日付をもって桑名工場勤務を命ずる。昭和五四年五月九日以降は桑名工場にて勤務すべし。」との業務命令書を交付して、それぞれ最後の説得を試みたが、申請人らはいずれもこれに応じなかった。

(一四) そこで会社は、申請人木下、同松永、同小堺、同気仙、同蒲原及び同伊藤については同年四月六日、同川山については同月一二日、同徳丸については同年五月一一日それぞれ懲戒委員会を開催して、申請人らの処分について検討した結果、申請人らの所為は就業規則八五条五号「職務上の指令・命令に従わず職場の秩序を乱し、または乱そうとしたとき」に該当するので懲戒解雇もやむを得ないとの結論を出し、申請人木下、同松永、同小堺、同気仙、同蒲原及び同伊藤に対し同年四月七日付で、同川山に対し同月一三日付で、同徳丸に対し同年五月一四日付でそれぞれ本件解雇をした。

以上の事実が一応認められる、右認定に反する疎明はない。

3 右認定事実によれば、会社が昭和五四年二月に策定した再建合理化計画は、会社の機構の統廃合と相俟って、トラック用等の大型タイヤの生産工場たる湘南工場での直労人員を五六八名から五四名減じ五一四名とするほか、間労人員、事務関係人員、技術関係人員等を一六六名合計二二〇名を削減することと逆に乗用車用タイヤの生産工場たる桑名工場の人員を四三五名から四四〇名に増員すること等を内容とするものであるが、会社が昭和二四年七月設立以来経営基盤が弱く慢性的経営不振状態にあり、特に昭和四八年のいわゆるオイルショック以後売上げの激減、製品価格の低下、原材料費の値上り等により昭和五三年一二月末時点では累積欠損は五九億八〇〇〇万円に達し、資産との比較においては三億五〇〇〇万円の債務超過の状態となっていたこと、並びに、桑名工場は設備が新しく生産効率も高く製産品である乗用車用タイヤの需要が増大傾向にあるのに反し湘南工場は設備が古く生産効率も悪いことに鑑みると、会社の策定した右合理化計画は、会社の倒産を防ぎ経営の健全化を図る上で必要やむを得ないものとしてその合理性を肯定することができる。

しかしながら湘南工場及び本社から桑名工場への一〇名の配転についてはその合理性は首肯することができない。すなわち、会社が行った希望退職者の募集結果では、桑名工場において希望退職者が三六名あったため希望退職者募集後の在籍者は四〇一名となり、当初計画の四四〇名に比し三九名の欠員を生ずることとなったが、他方湘南工場直労方においても希望退職者が七八名あり、希望退職者募集後の在籍者が四八六名となって当初計画の五一四名に比し二八名の欠員を生ずることとなり、本社事務関係及び営業関係でも当初計画より各三名の欠員となったのであるから、かかる状況下において会社が敢えて湘南工場から八名及び営業関係から一名を桑名工場へ配転しなければならない必要性は容易に認めることができない。この点につき(証拠略)によると、会社は、<1>本社、湘南工場を縮小し桑名工場を主力化していくのが再建合理化計画の基本である<2>人員不足の状況は人数、割合共に桑名工場の方が大きく、且つ、退職者二八名中成型工は一九名も含まれている<3>湘南工場は本社と同じ敷地内にあり必要に応じ本社から配転可能である<4>湘南工場では昭和五四年四月以降バイクチューブの生産を一時中止する計画であるからその間所属従業員二〇名を他に配置できることから前記一〇名の配転を決めたと説明する。然しながら右一〇名のうち少くとも申請人ら八名に対し桑名工場配転を内示したのは希望退職者募集期間の中間であり、未だ希望退職者の員数が確定せずしたがって全社的立場から適正な人員配置を計画し得ない段階であることに照らせば、少くとも申請人ら八名に対する配転理由は会社の説明する右理由に基くものでないことは歴然としているのみでなく、右理由<1><2>にしても、なる程前記合理化計画は湘南工場を縮小し桑名工場を増強することを一つの目標としているのではあるけれども、湘南工場も会社のタイヤ生産工場として存続し生産効率をあげることをもまたその目的の一つとしているのであるから、同工場の直労人員が当初計画の人員より減少することは同工場での生産に支障を招来するものとなることは明らかであり、これは取りも直さず会社再建のための合理化計画を予定どおり遂行することを不可能とすることに外ならないのである。前述のように湘南工場では当初計画より既に二八名の不足を生じていたのであるから、さらに八名の人員を桑名工場へ配転すれば三六名の欠員となり生産上の障碍は一層増大することとなる。もっとも桑名工場では三九名の欠員に対し一〇名の補充により欠員は二九名となるので、この点では桑名工場での支障は減少することにはなるが、これでは湘南工場と桑名工場の立場を入れ替えただけで、会社全体の立場からみた場合生産要員の欠員に関する有効適切な対策とはなり得ないものである。しかも会社は配転により一〇名を補充した後の桑名工場での欠員分は、社外工などによる現地での補充に委せるというのであるから、欠員の生じている湘南工場から敢えて八名のみを桑名工場へ配転すべき合理性はさらに薄れるものといわなければならない。ただ、前記認定事実によると、申請人徳丸の所属する本社技術関係は希望退職者が少なく配員計画人員より一五名の余剰となっているけれども前述のように申請人徳丸に対する配転内示の時期からみれば、同人の配転は右職場の余剰人員対策としてなされたものでないことは明らかであり、これを必要とした理由もまた認め難い。

すなわち、湘南工場、本社、及び営業関係から桑名工場への一〇名の配転には合理性を見い出すことはできない。

4  そこですすんで申請人らの人選の事情について勘案する。

(一)  前記認定事実によると、会社が申請人らに対し桑名工場への配転を内示し意向の打診を開始したのは昭和五四年三月一六日、一七日及び一九日であって、会社において希望退職者の募集中であることは明らかである。この点に関し、前掲疎乙第九〇号証の二(小杉信太郎の神奈川県地方労働委員会における審問速記録)によれば、会社は、組織を再編成して同年四月一日から新たな生産体制で出発したいと考えていたところ、配転の人選に着手してから発令に至るまで通常二ないし三週間を要していたため、同年三月一三日に桑名工場から配転の要請がありこれに応ずることに決定した段階で直ちに配転要員の人選に着手し、同月一六日に本件配転を決定するに至ったとしているけれども、前記認定のとおり、同月一二日に会社と組合との間において締結した協定では、会社は同月一三日から同月一六日まで希望退職者を募集し、引続き転勤等配置転換の可否を確かめ全社的に配員を調整する必要上同月一七日から同月二四日まで全員面接による希望退職者の再募集を行うこととされているから、同月二四日の段階に至るまでは希望退職者の人数、職場、職種等は未だ不確定な状態にあり、したがって本社、湘南工場及び桑名工場のいずれの職場において補充を必要とし或は補充要員を捻出することができるかについても不分明の状況にあって、同日以後でなければ配置転換等の適正な人事異動の作業に着手することができない客観的情勢にあったというべきである。同年四月一日から新体制を発足させるために同年三月一三日あるいは一六日に配転を決定する必要があったとする前記乙号証の記載は到底措信することができない。

すなわち、右によれば、会社は合理化計画に基づく希望退職者の応募情況とは関係なく桑名工場に欠員を生じたのを機に申請人らを桑名工場へ配転することを企図したものと推認することができる。

(二)  次に会社が申請人らに対し桑名工場への配転を命じたことについて相当な理由があるか否かについて検討するに、被申請人は、桑名工場長の要望に副い配転すべき従業員の人選基準を<1>健康で比較的若い者<2>転勤について支障の少ない者<3>転勤させても業務に支障の少ない者に設定して選考した結果申請人らが最適任者となった旨主張する。確かに右人選基準そのものは特に不合理というべきものではない。しかし右基準に該当する者は希望退職者を除く湘南工場直労方残留者四八六名中多数存在するものと推認されるから他の適任者との比較において申請人らを選定したことの相当性が問題であるというべきところ、かかる相当性についてはこれを認め得べき疎明はない。

(三)  申請人らの組合活動等

(証拠略)を総合すると、以下の事実を一応認めることができる。

すなわち、

組合は会社との間においてユニオン・ショップ協定を締結し、会社従業員は会社に本採用になると同時に組合に加入することとされていたところ、前記昭和五四年度の合理化計画実施前にあっては組合員は湘南支部で約六六〇名、会社全体で約一五〇〇名であった。ところで会社においては昭和四四年に会社の経営権が東急から三菱に移譲され、三菱商事から派遣された田中達夫が社長に就任するとともに、種々の合理化政策が打ち出された。申請人らは、入社後組合活動に強い関心を抱いていたが、会社の合理化政策に対し積極的に反対運動を展開しない組合のあり方に対し批判的であったところ、組合員の中で申請外深沢肇夫を中心として労働大学が発行している月刊学習誌「まなぶ」を使用した学習会が開かれるようになると、申請人松永は同四七年五月、同徳丸は同四八年一一月、同木下は同五〇年九月、同蒲原は同五一年五月、同伊藤は同年六月、同気仙は同年七月、同川山は同年一〇月、同小堺は同五二年二月にそれぞれ右「まなぶ」学習会に参加し、そして申請人松永は同四七年七月、同徳丸は同四九年一〇月、同木下は同五一年二月、同蒲原は同年五月、同気仙は同年九月、同川山は同五二年一一月、同小堺は同五三年五月、同伊藤は同年七月にそれぞれ社青同に加盟し、組合内少数派として次のような活動を行った。

(1) 四直三交替制導入反対活動

会社は昭和四九年一〇月合理化政策の一つとして四直三交替制といわれる連続操業を組合に提案した。これを受けて組合は討議を重ねた結果、同年一一月四直三交替制はやむを得ないとし労働時間短縮を要求して闘争することに決めた。しかし申請人らは四直三交替制は現在人員で三班を四班に分けるので労働強化となり休日が一緒にとれない、として反対を表明し、特に申請人徳丸と木下を中心として職場集会を開き反対運動を盛り上げていった。また、四直三交替制実施後の同五〇年五月頃、申請人徳丸は他の二名の同職場の者とともに会社がラインを時間外に稼動させたのは協定違反だとして右ラインを止めた。

(2) 加硫職場の廃止反対運動

会社は、昭和五一年四月、B工場が老朽化し生産性が低下していることを理由に同工場の加硫職場を廃止することを提案し組合もこれを了承した。しかし同職場で働く申請人徳丸、木下、小堺、松永らは職場集会を開いて反対し、組合にも反対するよう申し入れたりした。会社はその後間もなく申請人徳丸を技術部に配転した。

(3) 昭和五一年六月の希望退職者募集に対する反対運動

会社は、昭和五一年六月、三八〇名の希望退職者募集を実施した。組合は、当初は会社案の白紙撤回を主張しストライキを以って対抗していたが、その後条件闘争に方針を変えた。これに対し申請人らは学習会を開き組合員らに対し希望退職者募集の実体は指名解雇である旨説き、退職勧告反対のビラを職場、寮、社宅等に配った。

(4) 残業拒否等の行動

申請人らはいずれも社青同に加盟した頃から残業を拒否し有給休暇をすべて消化した。

(5) 申請人川山の配転に関する反対活動

申請人川山は、昭和五二年六月、桑名工場転勤を命ぜられた。申請人らは桑名配転拒否者会議を組織し申請人川山の配転に反対し、会社をして右配転を断念させた。続いて同年一〇月、申請人川山は工業用品課へ配転を命ぜられたので申請人らが支援し反対闘争をしたが会社から業務命令が出されて川山はこれに従った。

(6) 「三つの責任」運動に対する拒否活動

会社は前述のとおり昭和五三年六月、「三つの責任」運動を展開した。申請人らは、右運動は生産性向上を意図する会社の労務管理であるとして反対し、申請人伊藤及び蒲原を除くその余の申請人らは自己申告を拒否し、申請人伊藤及び蒲原は上司の圧力により意味のない目標を書いて申告するにとどめた。

(7) 職場内での情宣活動

申請人徳丸、松永らは昭和五〇年二月頃から同五一年六月頃までの間「職場ニュース」等と題してビラを配り組合員らに対し賃金引き上げのための闘争を訴えたりした。

(8) 組合役員選挙活動

(イ) 申請人徳丸は、昭和四九年、湘南支部執行委員選挙に立候補したが落選した。

(ロ) 申請人木下、同松永及び同徳丸は、昭和五一年四月施行された湘南支部執行委員補欠選挙の際、組合執行部側候補に対抗して立候補した申請外藤田勝を応援し、同人に投票を依頼するビラ約五〇〇枚を配付した。

(ハ) 申請人徳丸は、同年八月に行われた湘南支部三役選挙において副支部長に立候補し、申請人木下及び同松永とともに各職場をまわって投票を呼びかける等の選挙運動を行い、結局落選したが、組合執行部側の候補者の得票四九八票に対し申請人徳丸は三〇五票を獲得した。

(ニ) 申請人木下、同松永及び同徳丸は、同年九月に行われた湘南支部執行委員選挙の際前記藤田及び申請外田中行雄を推薦し、選挙運動を行った。

(ホ) 昭和五二年の湘南支部役員選挙に当り、申請人木下、同松永、同気仙及び同徳丸は職場委員に、同木下及び同気仙は支部大会代議員に、同蒲原及び同川山は青年婦人部職場幹事に、同伊藤は青年婦人部副部長にそれぞれ立候補し、組合の体質改善を唱えて申請人らに対する支持を訴えた。

(ヘ) 昭和五三年八月に行われた湘南支部役員選挙において、申請人徳丸は支部長に、同小堺は副支部長にそれぞれ立候補し、同年九月に行われた湘南支部執行委員選挙において、申請人木下、同松永、同小堺、同気仙及び同徳丸が立候補した。申請人らは、これらの選挙活動を通じて、<1>流れを変えよう、<2>執行部に新しい力を、<3>会社の介入を許さない組合を、の三つのスローガンを掲げ、会社の入口門前において立看板とプラカードを用いて投票を呼びかけた。申請人らはこの選挙においていずれも落選したが、支部長選挙については執行部側候補者の得票四五五票に対し申請人徳丸は二二三票を獲得し、副支部長選挙については執行部側候補者の得票四五八票に対し申請人小堺は二〇三票を獲得し、執行委員選挙(六名選出)については執行部側候補者(六名)の得票三五五票ないし四二五票に対し申請人徳丸は二六九票、同木下は二四二票、同松永は二四〇票、同小堺は二二七票、同気仙は一六八票をそれぞれ獲得した。

(四)  申請人らの活動に対する会社の対応

(1) 申請人徳丸が昭和五〇年に加硫職場の職場委員選挙に立候補したところ、同職場の松岡作業長は「徳丸を入れるな。」と言って職場内を廻った。

(2) 申請人気仙は昭和五一年六月二一日開催された「まなぶ」講演会に初めて参加し、その後申請人松永及び同徳丸が第二青雲寮の同気仙の室へ訪ねて来るようになったところ、同寮の平舎監は申請人気仙に対し、「あの連中とはつき合わない方がいいぞ。会社からあまりよくみられていないのだから。」と申し向けた。

(3) 申請人伊藤は昭和五一年当時第二青雲寮に居住し、同人の室に申請人蒲原及び同徳丸が出入りしていたところ、同寮の平舎監は同伊藤に対し、「あいつらとはつき合わない方がいい。会社をダメにする奴らだ。」と申し向けた。

(4) 申請人川山は昭和五一年当時第一青雲寮に居住し、同人のところへ学校の先輩である申請人蒲原がしばしば訪れていたところ、同寮の川島舎監は同川山に対し、「蒲原は会社から良くみられていないから彼とはあまり付き合うな。」と申し向けた。

(5) 会社が同年六月に希望退職者を募集した際、前述のとおり申請人らはこれに反対したが申請人徳丸は中野部長らから四、五回にわたり退職するよう求められ、同松永は秦野課長代理から「君は会社の再建計画のメンバーに入っていないのでやめてもらう。」と申し向けられ、同木下は馬場課長から「君は再建メンバーに入っていない。」と申し向けられた。

(6) 申請人川山は、同年八月ころ、バイクタイヤ成型職場に配属され同じ職場にいた同松永と話し合うようになったところ、同職場の赤坂班長は同川山に対し、「あいつらとあまり付き合わない方がいいぞ。おまえも会社から良くみられなくなるから。」と申し向けた。

(7) 申請人徳丸は、同年八月湘南支部三役選挙において副支部長に立候補し、同木下及び同松永とともに選挙運動のため加硫職場に赴くと、同職場の三上作業長は、執行部側候補者には勤務時間中の現場回りを許しておきながら、右申請人らに対し、「時間中には職場内に入るな。」と申し向けた。

(8) 同年九月に行われた湘南支部執行委員選挙の際、作業長並びに班長はそれぞれの職場の組合員に対し、組合執行部側候補者の氏名を記載した紙切れを渡して投票を依頼した。

(9) 申請人川山は、同年九月に行われた湘南支部役員選挙に組合執行部側候補に対抗して立候補した申請外田中行雄の推薦人になったところ、川山の上司である赤坂班長は同人に対し、「田中の推薦用紙になんで名前を書いた。田中の推薦用紙から名前を消した方がいいぞ。」と申し向けた。

(10) 申請人蒲原は、同年九月に行われた大型成型職場の支部大会代議員選挙に立候補したが、同職場の座間作業長は職場の組合員一人一人に投票用紙を渡しながら「蒲原を落とせ。」と言って回った。

(11) 申請人小堺の上司である中島班長は同五二年中に同申請人に対し、「徳丸と付き合っているのか。徳丸とは付き合わない方が良いぞ。」と申し向けた。

(12) 申請外浜尾悦郎は同五三年六月二二日に寒川町福祉センターで開催された「まなぶ」講演会に参加したところ、二、三日後に上司である三上作業長は同人に対し、「おまえはまなぶをやっているんだろう。徳丸達とは付き合うな。」と申し向けた。

(13) 申請人小堺が同年八月に行われた湘南支部三役選挙に副支部長候補として立候補した際工務課所属の申請外尾見正寿が小堺の推薦人となったところ、同課の笠原課長は右尾見に対し、「なんで小堺君の推薦人になった。こんなことをすると会社に対する印象が悪くなるぞ。」と申し向けた。

(14) 申請人木下、同松永、同小堺、同気仙及び同徳丸は、同年九月に行われた湘南支部執行委員選挙に立候補し、右申請人らが選挙運動のため大型成型職場に赴くと、同職場の永野作業長らは、組合執行部側の候補者に対しては作業中であっても職場回りを許しているにもかかわらず、右申請人らに対し、「職場に入るな。仕事の邪魔になるから出て行け。」と申し向けた。

(15) 申請人川山が同五四年二月二二日右中指挫滅創の傷害を負ったところ、同人の上司である工業用品課の石黒課長代理は管理課の飯田課長代理に対し、「弱ったな。首切りの対象なんだけれども、けがして困ったな。」と話した。

以上の事実が一応認められる。

5  以上の事実によれば、会社は申請人らがいずれも社青同グループに属し普段の活動もさることながら闘争時においては組合とは別により強い要求を掲げて闘争し、また会社の合理化政策に対しても事毎に反対し活発な組合活動を続けてきたことを嫌悪していたことは明らかであり、申請人らに対する本件配転命令が、桑名工場において希望退職者募集開始の初日に一三名の退職希望者が出ただけで未だ募集期間が満了せずしたがって退職者の数が不確定でその後の配員計画を立て得ない段階においてなされたこと、湘南工場等から桑名工場へ一〇名の配転をなすべき合理性がないこと及び申請人らを選定した合理的理由の認められないことを勘案すると、本件配転命令は、会社が申請人らの組合活動を嫌いこれを排除する目的で合理化計画実施の機会にこれに藉口してなした労組法七条一号に違反する不当労働行為であると認めることができる。したがって申請人らが右配転命令に従わなかったことを理由としてなされた本件懲戒解雇もまた、被申請人の不当労働行為意思に基づく処分として同号所定の不当労働行為に該当し、無効となるものといわなければならない。

三  而して

1  (証拠略)によれば、申請人伊藤と会社とは、昭和五七年七月二三日、<1>会社は申請人伊藤に対する本件解雇の意思表示を撤回する。<2>申請人伊藤は同五四年四月七日付で会社を退職する。<3>申請人伊藤と会社は他に何らの債権、債務のないことを確認する、旨の合意をなしたことを一応認めることができる。右によれば、申請人伊藤と会社とは合意により雇用契約を解約し、同人と会社との雇用契約関係は終了し、伊藤は会社に対し何らの債権を有しないことは明らかである。

2  (証拠略)によれば、申請人気仙は、昭和五五年ころ以降、住所である会社第一青雲寮に居住しておらず、青森県三戸郡田子町の親許へも連絡がなく、現在その行方が不明の状態にあることが一応認められる。然しながら、申請人気仙は、本件仮処分の申請を維持し会社に対し就労を請求し続けている限りは、現在において一時的にその所在が明らかでないことの一事を以って会社との雇用契約を解約する旨の黙示の意思表示をなしたものと看做すことはできないものであって、同人と会社との間の雇用契約関係はなお存続するものというべきである。

四  以上によれば、

1  申請人木下、同松永、同小堺、同気仙、同蒲原、同川山、及び同徳丸はいずれも被申請人に対し従業員たる地位を有するものと一応認めることができる。

そして右申請人らのうち申請人気仙を除くその余の申請人らについては、(証拠略)によれば、同申請人らは本件解雇当時被申請人から得ていた賃金が唯一の収入であり今後も生計を維持する上でこれを必要とすることが一応認められる。

しかし申請人気仙については被申請人に対し雇用契約上の地位を有するものの前認定のとおり昭和五五年以降所在不明であり右地位ならびに賃金に関する保全の必要性を認め得べき疎明は存しない。

2  申請人伊藤は被申請人との雇用関係を解消したから被保全権利はない

というべきである。

五  申請人木下、同松永、同小堺、同蒲原、同川山、及び同徳丸の賃金等

(証拠略)並びに弁論の全趣旨によると、本件解雇以後申請人蒲原は昭和五五年九月一九日婚姻し、同五七年一月八日長男が出生したこと、同徳丸は同五五年七月一二日長女が出生したこと、したがって、申請人木下、同松永、同小堺、同蒲原、同川山及び同徳丸が被申請人から受けるべき月例賃金、夏期一時金及び冬期一時金の金額は別紙目録(三)記載のとおりとなること、右申請人らが被申請人から受けていた月例賃金の支払方法は毎月一日から末日までの分について当月二五日払であることを一応認めることができ、被申請人が本件解雇以降右申請人らの就労を拒否していることは当事者間に争いがない。

よって、前記申請人らは、被申請人に対し、別紙目録(三)記載の賃金請求権を有するものというべきである。なお、右申請人らは、被申請人に対し、別紙目録(一)記載の賃金を請求し得る旨主張するが、これを認めるに足りる疎明はない。

六  以上のとおり、申請人木下、同松永、同小堺、同蒲原、同川山及び同徳丸の本件仮処分申請は、右申請人らが被申請人に対し従業員たる地位を有することを仮に定め、かつ、主文第二ないし第七項記載の賃金仮払を求める限度において理由があるので、保証を立てさせないで右の限度でこれを認容し、右申請人らの金員仮払を求める申請のうち右認容の限度を超える部分並びに申請人気仙及び同伊藤の本件仮処分申請は疎明がなく、また疎明に代えて保証を立てさせることも相当でないのでこれを却下することとし、申請費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文、九二条但書を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 安國種彦 裁判官 山野井勇作 裁判官 吉田徹)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!